成語-「衣食足りて礼節を知る」
原文は“仓廪实则知礼节,衣食足而后知廉耻”、春秋時代の斉の国の桓公に仕えた宰相の管仲の言葉です。意味は「米蔵がいっぱいになって人は道徳心を持ち礼儀、節操を知るようになります。衣服や食べ物が足りれば名誉と恥辱の違いも判るようになります。」です。
管仲はこの言葉をいつも桓公に伝え、「斉」の国は貿易を広めて財産を増やし、国を富ませて兵を増強して、人民の満足する政治を行いました。 つまり民の望むものは与え、嫌がるものは除いたのです。管仲の財は桓公と変わらないほど豊かだったといわれていますが、管仲の誠実さを知っていた人々からはなんの苦情も出なかったということです。きっと人々も豊かな生活を送っていたからでしょうね。
下駄の話
ある文献によると、中国人が下駄をはいていた歴史は少なくても三千年以上もある。しかし、今のところ下駄を履いているのは日本人が一番多い。そのため、多くの人は下駄は日本人の伝統的な履物だと思っている。しかし実際のところ、下駄は唐の時代に日本から中国に来た留学生が日本に持ち帰ったのが始まりである。ある歴史の資料によれば、春秋戦国時代、若い晋文公は災難を逃れるため国外に逃亡していた。その途中で食料が底をついてしまったが、介子推は晋文公を救うために自らの足の肉を切り取り調理し、晋文公に食べさせた。19年後に晋文公は国王になったが、介子推は位を受けようとせずに、母を連れて山中にこもってしまった。文公は介子推に山から出てくるように言ったが、彼はどうしても同意しなかった。それで、文公は山に火をつけて無理やり介子推が山から出てくるように命令した。火が収まった後、人々は介子推と彼の母親が大木の下で焼け死んでいるのを発見した。晋文公は非常に悲しみ、その木で下駄を作るように命じた。それは下駄の音がそのことを忘れさせないようにするためである。その後、晋文公は晋国を強大な国とした。
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