西洋の香り漂う町-“澳门”(マカオ)
マカオという名前を聞くと皆さんは何を想像しますか?「カジノの町」として有名になってしまったこの町が複雑な歴史を抱えているのはご存知ですよね。1999年にポルトガルから中国本土に返還されたマカオは香港と同じく中国特別行政区に指定され、カジノを中心とした観光開発に力を注いできました。その成果もあって観光客は2000年を境にぐんぐん増え始め、今年は3600万人もの数が見込まれています。
かつてのポルトガル領を彷彿とさせる町並みや、教会などの建築物もたくさん残っているのもこの町の特徴です。2005年には「マカオ歴史市街地区」として、22の歴史的・宗教的建物と8つの広場がユネスコの世界文化遺産に登録されました。最近はカジノだけでなくこの文化遺産を見学に訪れている人も多いようです。
この町の食文化も華やかで、ポルトガル料理はもちろん、かつてポルトガルの植民地だったインドやアフリカの料理をミックスさせた、マカオ料理も人気を呼んでいます。
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孔子の故郷 ― 曲阜
山東省にある曲阜という町は孔子の故郷として有名です。町の中の観光は全て孔子にまつわるものと言っていいほどで、現在も住民の約3分の1に当たる約10万人以上の「孔」姓を名乗る人が住んでいます。中国最大の「孔子廟」は南北に縦630メートル、横140メートルの広さがあり、中には460室も部屋があります。直営の子孫が代々住んだ「孔府」は代々の皇帝からも大事な存在として扱われてきたおかげで現在のような大きさになったといわれています。孔子と子孫が眠るお墓「孔林」は一族の墓地としては世界でも最大規模を誇るほどの広さで、約2万メートルあります。この3か所は1994年にユネスコの世界遺産として登録されています。
孔子の思想をまとめた「儒教」は数千年にわたり、中国や、東アジアの国の思想に影響を与えています。曲阜は今もなおその孔子をしのんで訪れる人が後を絶たないのです。
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山水画の世界へようこそ - 阳朔
皆さんが「山水画」と言って思い浮かべる景色はどこですか?たぶん、「桂林」ではないでしょうか。その桂林よりも「山水画」を思い起こさせる町、「陽朔」(ヨウサク)はご存知ですか?
桂林からわずか60キロ、四方を山に囲まれたこの町は隋の時代に開かれたと言われています。カルスト地形に取って生み出されている奇峰・奇巖はまさに桂林山水の精華と言える迫力があります。例えば、山の中腹に丸い穴が開き、その穴がつきのように見えることから名づけられた「月亮山」は、その景色も珍しいのですが、山頂からは一体の景色を見下ろすことができます。
「陽朔」の町を歩くと、周りを取り囲む山々が迫ってくるような感じを受けます。町の中は歩いて回ることもできますが、最近はレンタル自転車などもあるようです。2004年に始まった张艺谋(チャン・イーモウ)プロデュースが5年の歳月をかけて構想した、「印象劉三姐」は、2キロにわたる漓江水域と12の山を利用した一大スペクタクルでこれまでに20万人の人を魅了してきました。
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上海万博いよいよ開催
5月1日いよいよ中国で初めての万博が上海で始まります。10日前の4月20日ごろからは毎日上海市民を動員してのリハーサルが行われています。万博会場に直結する地下鉄が開業した日が初めてのリハーサルとなりました。この日の参加者は約20万人、飲料水やライターの持ち込みを取りしまる安全検査では朝から長蛇の列ができ、一部の人が待ち切れずにロープをくぐって割り込んだり、後方の人たちが押し過ぎて前方の人が倒れ込むような一幕もありました。
万博の事務局によりますとピーク時には1日80万人の来場が見込まれており、このリハーサルで起きる問題を参考に対処していきたいとしています。
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世界遺産の山-「黄山」
安徽省にある「黄山」は昔からたくさんの人々を魅了してきた山です。峰と雲が織り成す風景は仙人が住む「仙境」といわれ、古くから「水墨画」や「漢詩」の題材としても扱われてきました。今でも中国の人々は「黄山を見ずして山を見たというなかれ」というほどです。
山の岩や石は氷河や風雨によって1億年もの間侵食され、現在の断崖絶壁を作り出しています。3主峰、蓮花峰・光明頂・天都峰以外にも69も峰があり、海からの水蒸気で山頂は1年中雲海が漂っています。山の特徴を表す「怪石・雲海・奇松・温泉」は「四絶」と言われています。
また、ここには道教、仏教の寺院もたくさん集まっていて、黄山の北側に位置する九華山には97の寺院が集まる、地蔵菩薩信仰の総本山になっています。
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北京同仁堂
日本でもなじみのある「漢方薬」は中国では「中薬」といわれています。つまり中医の薬というわけです。中薬には「草薬」と「成薬」の2種類があって、「草薬」は文字通り、草や、実のことで飲み方は原料を煮詰めて汁を飲みます。一方の「成薬」は「草薬」をすりつぶしたりして、粒にしたり、粉状にしたもののことで普通の西洋薬と同じ飲み方です。
このような薬は普通一般の薬局では買うことができません。北京には「同仁堂」という名前の古くからある中薬のお店があります。このお店の創業は1669年、時は清の時代です。1723年には宮廷の御用薬商になり、以来8代の皇帝の薬を作り続けてきたことでも有名です。
創業以来作られてきた薬の種類は「成薬」が約800種類で、現在は40ヶ国にも輸出をしています。もちろん店には薬剤師も常駐していて、症状や痛みを訴えればそれに合わせた薬を処方してもくれます。今でも、北京に住む人の多くは薬というとこちらの「中薬」を買い求めている人が多いのです。
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牡丹の里へようこそ
中国の中部にある河南省の洛陽市は昔からいろんな朝廷の都として栄えてきた場所です。仏教寺院では一番古い白馬寺や郊外には中国三台石窟のひとつといわれる竜門石窟もあり、1年中観光客でにぎわっています。
洛陽で有名なのものはもう1つあります。それは春に咲き誇るボタンです。洛陽のボタンは宋の時代に長安(現在の西安)の都からもたらされたといわれています。気候が穏やかで土壌が豊かなこの土地はボタンの生育にピッタリの場所だったらしく、どんどん増え続け、今から100年も前でも春になると中国の人々がボタンを見物しに洛陽を訪れていたそうです。
市内にはあちこちにボタン園があり、色とりどりの花が次々に咲き誇ります。毎年4月15日からは各ボタン園でボタン祭りも開催されています。
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北京のレンタル自転車
暖かくなる春を前に北京市内の朝陽区で公用の自転車のスタンドが登場しました。
このスタンドにある自転車は全て無料で、市民に貸し出されるものです。現在渋滞に悩む北京市では、交通の緩和に一役買おうと、このサービスに踏み切ったものです。
スタンドは現在4か所、それぞれ地下鉄の駅の出口に配置されていて、地下鉄から降りて、すぐに借りることが出来ます。レンタルするにはまずカードの登録が必要です。カードには100ポイントの点数が入っていて、2時間以内に返却すればポイント加算、反対に2時間以上過ぎた場合は減点されるようになっていて、0ポイントになってしまうと再登録のデポジットが掛かるようになっています。
朝陽区内では今後2カ月で6ヶ所スタンドが開設予定で、2015年を目標にした交通の再編は徐々にスタートしているようです。
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パンダのふるさと
四川省の首都成都から約160キロ、四川盆地とチベット山脈にまたがる臥龍自然保護地区はパンダのふるさとです。面積は約20ヘクタール、保護区内には最高峰の四姑娘(スークーニャン)6250mをはじめ標高5千メートルを越える高地が広がり、手付かずの自然が残されています。動植物も数多く確認されていて、獣類60種、鳥類300種、植物3000種ほどが生息しています。
この山のあちこちにパンダは生息していますが、1983年に保護区内にパンダセンターが作られ、現在はそこで約60頭ほどのパンダが生育しています。ただ、2008年に起きた「四川大地震」はこの保護区にも深刻な被害をもたらしていて、センターの建物が壊滅した他に保護区内の地滑りでパンダのえさになっている竹林も埋まってしまっているということです。えさの確保が年々難しくなっていることからセンターではこの先、パンダの「疎開」も考えているということです。
詳細はhttp://www.sorachina.jp/をご覧ください。
「移民の街」― 海南省「三亜」
中国で一番南の島、海南島は今、「東洋のハワイ」として、1年中観光客で賑わっています。1月の一番寒い季節でも気温は21度、コートやセーターは全く必要がありません。
その海南島でも一番南側にある町「三亜」には大型のリゾートホテルや高級マンションが立ち並んでいます。訪れる人はもちろん中国人は多いのですが、暖かさを求めて、ロシアや韓国、日本からの観光客も後を絶ちません。
「三亜」が高級リゾート地として売り出し始めたのは今から10年ほど前、観光産業の求人に殺到したのは島の人ではなく、本土から移民でやって来た人たちでした。彼らはこの暖かい土地に自分たちの「仕事」と「夢」を託して家族で移り住んできました。いま、現地の人口の約半分はこの「移民」の人たちです。
「三亜」には今も新しいホテルが次々に建設されていて、「東洋のハワイ」はますます大きくなっていきそうです。
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